「ウィリアム・ウィルスン」(ポー)

本作品は精神分裂病患者の幻覚か

「ウィリアム・ウィルスン」
(ポー/江戸川乱歩訳)
(「百年文庫017 異」)ポプラ社

「ウィリアム・ウィルスン」
(ポー/渡辺温訳)
(「ポー傑作集」)中公文庫

放蕩の限りをつくす
名門一族の「私」。
「私」の思うがままの振る舞いを
いつも妨げるのは、同姓同名、
誕生日まで同じ同級生、
ウィリアム・ウィルスン。
寄宿生時代のある夜、
「私」は密かに
彼の寝室に忍び込み、
その顔をのぞき込む…。

そこに見たのは、
自分とそっくりの顔だったわけです。
驚いた「私」は、
その日を最後に学校をやめ、
その後、イートン校、
オックスフォード大学へと進学します。

でも、彼はいつも「私」の前に現れます。
それも「私」が
悪事を働こうとするときに限って。
そして計画を
すべて台無しにしてしまうのです。

ついにはローマでの仮面舞踏会で、
若くて美しい夫人を
誘惑しようとしたそのとき…、
現れた彼を「私」は刺し殺します。
「お前が勝った、
 そして俺は降参した。
 だが、今日限りお前も
 やっぱり死んでしまったのだぞ…
 如何にお前が手際よくお前自身を
 刺し殺してしまったかを、
 お前自身に他ならぬ
 この姿でよく見るがいい。」

学生の頃読んだときには、
ドッペルゲンガーを扱った
単なるホラー小説だと思っていました。
でも、「私」が「悪」であるならば、
対抗するウィリアム・ウィルスンは
「善」なのです。
だからどこまでも
「私」の邪魔立てをするのです。

そして別個の二人の
ウィリアム・ウィルスンが
存在するのではなく、
本作品はあくまでも一人の人間の中の
心の葛藤、いや、
精神分裂病患者の幻覚と
考えた方がいいのではないでしょうか。

冒頭の一節、
「私の場合は、
 すべての善徳というものが
 一瞬間に、まるでマントをでも
 脱ぎすてるように、
 すっぽりと私から
 離れて行ってしまったのである」

ここが「私」の精神の分裂を
表しているのではないかと思われます。

もしかしたら、私たちはみな心の中に
「善」と「悪」の二人の自分を
持っているのかもしれません。
普通の人間は心の中で上手く折り合いが
ついているのでしょうが、「私」は
心の中の「悪」が肥大化したために、
「善」が精神から分裂し、
敵対するようになったとも
考えられます。

作者ポー自身が、「私」に似た
頽廃的な生活を送っています。
もしかしたらポーもまた、
自らの身体から、「善」の自分が
抜け出ていたのかもしれません。

江戸川乱歩訳となっていますが、
 調べてみると、乱歩はただ
 名義を貸しただけで、
 実際は渡辺温訳です。
 詳しい経緯は中公文庫の
 「ポー傑作集」に記されてあります。
 最近刊行されたこの本は、
 サブタイトルが
 「江戸川乱歩名義訳」となっていて、
 興味深い一冊です。

(2020.3.22)

Johannes PlenioによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「ウィリアム・ウィルスン」(ポー/佐々木直次郎訳)
※本書とは訳者が異なります。

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